雑賀町 【松江石碑】雑賀町「堀尾公城地選定の地床几山」 <写真> <地図> <碑文> 堀尾公城地選定の地 床几山 松江市 平成二十四年十一月 <建立> 平成24年(2012年)11月(碑文より) 2021.08.19 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「廬舎那仏碑」 <写真> <地図> <説明> 廬舎那仏 明治三十二年建立 日清戦争に出征した島根県出身の戦 没者一七七名の慰霊と平和を祈念して 諸寺院等が発起して広く義損金を募っ て建立した 旧松江釜甑方の技術を受 け継ぐ鋳物師島谷理右... 2021.08.18 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「山内曲川句碑」 <写真> <地図> <説明> 山内曲川句碑 明治三十九年建立 松島も見しが 故郷の 湖涼し 松江市を代表する俳人 文化十四(一八一七) 年 天神町山内長右衛門の長男に生まれ 名は 嘉一郎 最初の号は沙窓 次いで茶窓と改め ... 2021.08.18 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「佐々木文蔚君碑」 <写真> <地図> <説明> 佐々木文蔚君碑 明治二十七年建立 弘前の人で父は津軽藩の藩医 東京 帝大医学部第一期卒の医学士となり 明治十二年 島根県が県立医学校設立 のため 松江医院長として招請した 流行病の撲滅 ... 2021.08.18 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「老雨雨森君碑」 <写真> <地図> <説明> 老雨雨森君碑(雨森精翁) 明治三十六年建立 松江藩士の三男に生まれ のち雨森 姓を継ぐ 浪速や江戸昌平黌の優れた 儒者に学び 帰国すると藩主の侍講や 儒学教授を務める傍ら 内中原で私塾 「養... 2021.08.18 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「澤野含斎翁碑」 <写真> <地図> <説明> 澤野含斎翁碑(澤野修輔) 明治三十六年建立 雑賀の足軽の家に生まれ 幼きころ より藩儒雨森精翁に学び 二十六歳の 時 江戸に出て昌平黌に学ぶ 帰国す ると家塾「培塾」を開き 子弟の教育 に専... 2021.08.17 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「森本文斎君碑」 <写真> <地図> <説明> 森本文斎君碑 大正三年建立 安政六(一八五九)年生まれ 医師 森本鮮庵の養子となり 県立委員など で医学や理化を学んで開業資格を取得 明治十七年上京して産科婦人科の専門 を学び 宮城病院... 2021.08.17 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「堀尾吉晴・忠氏公城地選定之地」 <写真> <地図> <碑文> 慶長五(一六〇〇)年関ヶ原の戦いで功績を挙げた戦国武将 堀尾吉晴の子 忠氏は出雲隠岐二十四万石を拝領 月山富田城に入った しかし 富田城は山 城で城下が狭く移城を決意 幕府に願い出た 床几山は東が広瀬往還に... 2021.08.16 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「床几山碑」 <写真> <地図> <説明> 床几山碑 明治四十四年建立 碑文は「床几山は松江の南に在る」に始まる(以下訳文)慶長五年十二月 堀尾吉晴は出雲隠岐に封じられ富田城に来居巳(春)其の子忠氏は父及び老 臣らと協議して末次極楽寺山に城... 2021.08.16 雑賀町