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<説明>
内村鱸香(ろこう、本名は友輔、文政4年(1821)~明治34年(1901))は、松江市中原町出身の儒学者・教育者です。小さい頃から学問を好み、24歳のときからは、京都、大阪に遊学し、その後、江戸の学問所で勉学に励みました。その頃からいち早く庶民教育を提唱しましたが、明治6年、小学校が設置されると、初代白潟小学校校長となり、次いで、創設の教員伝習校(島根師範・現島根大学)と松江中学(現松江北高校)の教育に尽くした島根の近代教育の先駆者です。一方、この近くの西茶町に家塾相長舎(そうちょうしゃ)を開きました。その門弟は三千人ともいわれ若槻禮次郎、岸清一、二葉亭四迷ら多くの俊秀を育成しました。また、松江藩主父子の学問相談役であったとき、明治維新の版籍奉還において、的確な提言をして、松江藩・住民を安泰に導きました。(説明板より)
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