<写真>
<地図>
<碑文>
出雲國廰址
移転誌
此の碑は昭和三年十一月十日今生天皇陛下の御大典を奉祝し
その記念事業として当時の出雲郷村長であった〇〇禮太郎氏
が建立したものである。その理由は出雲国風土記に所載され
ている佐久佐社が佐草の八重垣神社の境内社である「佐久佐
社」と大草の六所神社境内社である「丁ノ明神」とする二説
があって「夫敷」何か所神社説を参考地と想定し一方地名の
「上夫敷」内国庁の府敷跡に当るとして「上夫敷」に出雲国
庁が「下夫敷」に〇〇郡家があったとする地名説を論拠とし
た学説で決論されたものである。そして昭和六十年度に市の
向圃場整備事業が施工されるのあたり現地点より西南約九十
米の「上夫敷」に建立していた碑を此の地点に移転建立した
事実を後世の人々に正しく伝えんとしてこの碑文を記す。
周藤蛙村記
昭和六十一年七月一日
東出雲町土地改良区建立
※〇は不明箇所
<建立>
昭和61年(1986年)7月1日建立(碑文より)
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