<写真>
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<碑文>
青山善一郎頌徳碑
文部大臣 松田竹千代 書
故青山善一郎氏は島根県八束郡鹿島町大字恵曇町の人なり。明治二十
三年五月二十五日善太郎氏の長男として其の郷に生る。長じて島根県立
松江中學校を卒え家業を嗣ぐ。性剛毅闊達にして極めて進取の氣象に富
めり。夙に後進地域の殖産開発の大望を抱き、即ち水産業の振興を圖る
べく佐陀運河々口に漁港を拓かんとし大正九年同志と相謀り、江角漁港
期成同盟會を結成、自ら會長となりて東奔西走寝食を忘れて之を促進せ
り。而して大正十年島根県會に於て漁港調査費の可決をみたるにより時
の衆議院議員たる予が先考幸雄の協力を求め各方面に不撓不屈の努力を
重ねたる結果第四十六国會に於いて之が築港の議決を見るに至れり。斯
くして大正十二年度より昭和七年度に至る十年の歳月と百二十余萬円の
巨費とを費して待望の漁港を竣工し地方産業に一大飛躍の礎を築けり。
その間昭和四年恵曇村長に、翌五年島根県會議員に選ばれ、又推されて
県會参事會員の要職に就く茲に於いて予て抱懐せる地方殖産の實現を期
し漁港の発展策として製氷、缶詰の事業を興し、上水道事業を肇め後方
輸送路の重要性を認めて松江市に通ずる産業路線を県道として開通せし
め、これに村営バス事業を創めて貨客輸送の便を圖れり。更に昭和初期
より若くして八束郡外海水産會々長、江角漁業協同組合長となるや進ん
で島根県漁業組合連合會の結成に盡力し推されて會長として晩年に至る
在職満五年、よく今日の県漁連の基礎を築き、傍ら魚行商人の育成に
心を傾ける等郷土漁業界の振興発展に努むる所極めて多し。又恒に郷党
の精伸作興に意を注ぎ明治維新の志士因藩五十の顕彰を圖り塋域を補修
し遺品を蒐めて記念館を建立する等常時念頭に郷土愛の勃々たるものあ
り。世人挙げて敬仰おかざるところなりしに不幸病を得昭和十八年遂に
歿せらる。時に年未だ五十四歳、痛恨焉ぞ耐えん。
然れども氏の遺せし幾多の事蹟は後世に燦として輝き郷土今日の繁栄
の因を為したりと謂うべし。宜べなる哉茲に郷党の有志相謀り氏を追慕
し頌徳碑を建立されんとす。仍而不肖嘱に應じれ其の碑に謹んで誌す。
昭和三十五年三月
莫逆の友亡櫻内幸雄男乾雄共撰
義男
<建立>
昭和35年(1960年)3月建立(碑文より)
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