<写真>
<地図>
<説明>
佐々木文蔚君碑 明治二十七年建立 弘前の人で父は津軽藩の藩医 東京 帝大医学部第一期卒の医学士となり 明治十二年 島根県が県立医学校設立 のため 松江医院長として招請した 流行病の撲滅 開業医の指導養成 病 理解剖など山陰の医学史に残る功績を 残し 五年の勤務を経て宮城県に転じ た 明治十九年 海軍大軍医補に抜擢さ れ 海軍医学校教授 軍艦「金剛」の 軍医長を務めた 同二十余年フランス で建造した新艦「千鳥」で帰国するも 瀬戸内海で針路を誤った英国船が衝突 転覆する奇禍にあい亡くなった 森本 文斎らが松江に顕彰碑建立を働き掛け た
<建立>
明治27年(1894年)建立
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