<写真>
<地図>
<碑文>
先生とお別れした日はすでに
朔北のソ連領で 捕虜としての死をいそがれたの
は われわれの記憶の外にあることである
われわれは満州からもう一度この地にお帰りいた
だくことを祈っていた しかしすでにそのことは
されない願となった 今われわれに望み得るものは
先生とこの空に向って呼ぶことだけである そして
再び先生を見る事のできないと知りながらもう一
度この松江の空を懐しんで訪れることである
若し島根が純正であり その存在が大きな地歩
占めることがありとするならばその最大の功績を
先生のみ名に附せねばならない まことに先生は
の道をまず自らすすまれた人であるからである
してその道を多くの少年少女達が歩み やがてその
後にさらに多くの者がつづこうとしている
先生は今こうした島根の盛況を見ていて下さるだろ
うか
み名 弥峯薬師寺毅先生
もう一度この名を唱えよう
撰文 受業 邑溪 三上
漢訳 佛山 青木勝三郎
書丹 受業 碧雲 槙原光男
設計 島根大学 天野茂時
建立 故弥峯薬師寺毅先生遺業顕彰会会長
会長 松江市長 斎藤強
副会長 金山千
昭和三十九年三月十二日建立
<建立>
昭和39年(1964年)3月12日(碑文より)
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