<写真>
<地図>
<碑文>
清原太兵衛紀功碑
この石碑は、清原太兵衛が一身を賭して佐陀川開削の大事業を
成し遂げたことを顕彰し、後世に伝えるため昭和三年九月、清原
太兵衛頌徳会が中心となって建設した。石碑の裏面に記されてい
る文章の概要は左記の通りである。(説明板原文)
概要
斐伊川が東流(一六三五~一六三九)したことにより、宍道湖
周辺はしばしば洪水に襲われ、松江藩はその対策に腐心していた。
天明に入るととくにその被害が甚大で、同五年(一七八五)、
清原太兵衛の十二回に及ぶ建議を容れ、藩は漸く佐陀川開削に着
手。藩命を帯びた太兵衛は、宿願を適えんと勇躍佐陀の地に赴き、
多くの困難を克服、約三年の歳月を経て完成に漕ぎ着けた。
だが、太兵衛は、一ヶ月半後に盛大な川開き式を前に、それを
見ることもなく、同七年十一月二十八日、にわかに逝去した。翁、
七十六歳の偉大な生涯を終えた。
その後の佐陀川は、洪水の緩和や新田開発に役立つと共に、松
江と日本海を結ぶ最短航路として、松江を始め周辺部に文明開化
にも及ぶ効果をもたらした。(説明板原文)
平成十八年三月吉日
清原太兵衛顕彰会
<建立>
昭和3年(1928年)9月建立(説明より)
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