【松江石碑】鹿島町「中国文学者増田渉先生顕彰碑」

鹿島町

<写真>

<地図>

<碑文>

中国文学者
増田渉先生顕彰碑

扶桑正是秋光好楓葉
如丹照嫩寒却折垂
楊送帰客心随東棹
憶華年

 増田栄光雅教  魯迅

  増田渉君の帰国を送る
  扶桑(日本)は正にこれ秋光好し、
  楓葉は丹の如く嫩寒に照る。
  却て垂楊を折り帰客を送る、
  心は東棹に随って華年を憶う。

 増田渉が日本に帰る際、魯迅が贈った送別の詩で、「日本
はいま紅葉の美しい秋であろう、貴方が国へ帰るにつけても、
私も若かりし日の日本留学時代のことを憶う。」という意で
ある。
 この詩は、一九七八年日中平和条約批准のため来日した鄧
小平副総理が歓迎の席で日中友好の好例として紹介している。



 増田渉先生は明治三十六年、鹿島町片句に生まれた。
 東京帝国大学を卒業し、昭和六年、上海にわたり、魯迅に
親しく教えを受けた。帰国後も片句と上海との間で文通が続
き、その親交は日中両国の友好を示す逸話となっている。
 「中国小説史略」の翻訳をはじめ、「魯迅の印象」を著わ
すなど、中国文学を広く紹介するとともに、その基礎的研究
を深め、新しい方面を示したことは大きな功績である。
 戦後は、島根大学、大阪市立大学、関西大学などで多くの
後進を育てた。
 昭和五十二年、中国文学者竹内好への弔辞を朗読中に倒れ、
その生涯を閉じた。
   平成五年三月      鹿島町

<建立>

平成5年(1993年)3月建立(碑文より)

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