宍道町 【松江石碑】宍道町「持田啓太郎記念碑」 <写真> <地図> <碑文> 持田啓太郎翁ハ明治元年八月十四日本町伊志見持田房太郎 氏ノ三男ニ生レ明治三十四年宍道村書記ニ就任以来助役村 長ヲ歴任シ昭和二年進ンデ町制ヲ施行シテ初代町長ノ重キ ニ任ジ昭和十三年退任ニ至ルマデ三十有八年ノ長キニ... 2021.09.07 宍道町
東出雲町 【松江石碑】東出雲町「日本横綱力士陣幕久五郎通高碑」 <写真> <地図> <碑文> 日本横綱力士陣幕久五郎通高碑 第十二代横綱力士 陣幕久五郎 第十二代横綱力士 陣幕久五郎は、江戸時代最後の幕末随一の 強豪力士で、島根県では唯一の横綱である。一七四センチ一三八 キロの筋肉質のガッシリとした体... 2021.09.04 東出雲町
古志原四丁目 【松江石碑】古志原四丁目「平塚運一画伯顕彰碑」 <写真> <地図> <碑文> 平塚運一画伯顕彰碑 松江市長 石倉孝昭 書 松江市名誉市民平塚運一画伯は青年期を古志原町の実家で過され 後年棟方志功等現代日本を代表する版画作家を育てられた超人的 木版画技術の大家である。郷土が生んだ画伯の... 2021.08.31 古志原四丁目
八雲町 【松江石碑】八雲町「藤田勇市翁頌徳碑」 <写真> <地図> <碑文> 藤田勇市翁頌徳碑 島根県知事 田部長右衛門書 藤田勇市翁は明治十四年三月二十三日熊野村矢谷部落に生まれ資性 俊敏事に当り熟慮断行ひたすら郷土のために熱誠を捧げて居られる 徳行の士である 明治三十九年熊野... 2021.08.28 八雲町
灘町 【松江石碑】灘町「道」 <写真> <地図> <碑文> 先生とお別れした日はすでに 朔北のソ連領で 捕虜としての死をいそがれたの は われわれの記憶の外にあることである われわれは満州からもう一度この地にお帰りいた だくことを祈っていた しかしすでにそのことは ... 2021.08.28 灘町
灘町 【松江石碑】灘町「玄丹おかよ像」 <写真> <地図> <碑文> お加代は、もと松江藩士で鍼医・錦織玄丹の娘。明治維新のと き窮地にたった松江藩のために、身を挺して活躍した女性である。 慶応4年(1868)山陰鎮撫使一行は、松江藩が徳川の親藩 であるため、その動静に不信を... 2021.08.20 灘町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「佐々木文蔚君碑」 <写真> <地図> <説明> 佐々木文蔚君碑 明治二十七年建立 弘前の人で父は津軽藩の藩医 東京 帝大医学部第一期卒の医学士となり 明治十二年 島根県が県立医学校設立 のため 松江医院長として招請した 流行病の撲滅 ... 2021.08.18 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「老雨雨森君碑」 <写真> <地図> <説明> 老雨雨森君碑(雨森精翁) 明治三十六年建立 松江藩士の三男に生まれ のち雨森 姓を継ぐ 浪速や江戸昌平黌の優れた 儒者に学び 帰国すると藩主の侍講や 儒学教授を務める傍ら 内中原で私塾 「養... 2021.08.18 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「澤野含斎翁碑」 <写真> <地図> <説明> 澤野含斎翁碑(澤野修輔) 明治三十六年建立 雑賀の足軽の家に生まれ 幼きころ より藩儒雨森精翁に学び 二十六歳の 時 江戸に出て昌平黌に学ぶ 帰国す ると家塾「培塾」を開き 子弟の教育 に専... 2021.08.17 雑賀町
雑賀町 【松江石碑】雑賀町「森本文斎君碑」 <写真> <地図> <説明> 森本文斎君碑 大正三年建立 安政六(一八五九)年生まれ 医師 森本鮮庵の養子となり 県立委員など で医学や理化を学んで開業資格を取得 明治十七年上京して産科婦人科の専門 を学び 宮城病院... 2021.08.17 雑賀町
魚町 【松江石碑】魚町「侠女玄丹おかよの碑」 <写真> <地図> <碑文> 明治元年二月雲州松江藩は明治新政府山陰道鎮撫使 西園寺公望卿を迎え存亡の危機に立つたこの時藩の 鍼医錦織玄丹の娘加代女はすすんで接待の仕に当り その容姿と侠気は一行の胆をひしぎ藩の急を救うに 役立つたという晩年... 2021.08.16 魚町