【松江石碑】東出雲町「日本横綱力士陣幕久五郎通高碑」

東出雲町

<写真>

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<碑文>

日本横綱力士陣幕久五郎通高碑

第十二代横綱力士 陣幕久五郎
 第十二代横綱力士 陣幕久五郎は、江戸時代最後の幕末随一の
強豪力士で、島根県では唯一の横綱である。一七四センチ一三八
キロの筋肉質のガッシリとした体格で、じっくり守勢に構えたら
テコでも動かない堅固な取口で、殆どケガ負けが無く「負けず屋
の陣幕」と異名をとった。入幕以来、七五勝五敗三預り一七引分
けで勝率〇・九四六の成績は古今の大力士のなかでは、雷電、谷
風、常陸山に次ぐ抜群の超強豪である。又終生只の一度もマッタ
をしなかった力士として相撲史上に輝かしい規範を残している。
 受けながら 風の押手を 柳かふ
横綱となって、名を「通高」と称し、戸籍を陣幕久五郎と定め晩
年は「士師通高」と称した。横綱引退後は大阪相撲頭取総長、勧
進元を十一年間務め実力者として君臨し、大阪相撲を江戸相撲と
同格の地位に高めるなど改革を進め、地方力士の育成、国技館建
設の企画等、相撲の発展と角界の品位の向上を図り、相撲史上特
記される業績を残した。
 陣幕は勤王憂国の志強く、幕末から明治維新にかけての急激な
変革と世情動乱の中を、旺盛な覇気と行動力で生きぬき、岩崎弥
太郎、西郷隆盛、清国李鴻章など、政財界、有名人の幅広い人脈
を築き交流を深め、人間的修養を積んだ。
 敬神崇仏の念に厚く、独力で全国各地の社寺仏閣へ鳥居、玉垣、
石燈等の寄進は枚挙にいとまがない。五十一才で相撲界を引退、
歴代横綱力士の顕彰、建碑に専心し、建碑狂と誤り伝えられるほ
ど陣幕畢生の大事業の実現に没頭した。特に東京深川、富岡八幡
宮に建立した「横綱力士碑」は陣幕六十五才の時発起してから八
年を要して竣工落成した。巨石碑では日本一といわれ、歴代の横
綱の呼称を天下に定着させ、今日に至らしめた功労者である。横
綱力士陣幕の風格と大きさを現す代表的なものである。
 他に明治六年、当地に建立した「日本横綱力士陣幕久五郎通高
碑」「初代明石碑」「二代綾川碑」等々いずれもスケールの大き
なものである。
 茲に九重親方(横綱北の富士)陣幕親方(横綱千代の富士)を
迎え、夢とロマン物語「横綱陣幕久五郎顕彰事業」を記念し、業
績を記す。
  平成三年十月二十八日

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